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446件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2003-05-07 第156回国会 参議院 憲法調査会 第6号

もし現在、非武装解釈に戻ったというならば、当時お取りになられた、村山委員長のお取りになった態度というのは間違いだったのか。こんなことを一般国民に分かりやすい形できちんと説明する責任があるのではないか、この点を非常に疑問に思うわけであります。  私は、ここで両党のイデオロギーを批判しているわけではありません。イデオロギーは全く自由であります。

西修

2003-03-06 第156回国会 衆議院 憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会 第2号

御承知かと思いますが、村山内閣が発足したときに、いわゆる自社さ政権のときに大きくそういう基本政策を転換しておりまして、当時の村山委員長でありますが、総理でもありましたけれども、現在の自衛隊憲法の枠内にあるというおっしゃり方をしましたし、日米安保条約も、維持するというんじゃなくて堅持するという、より強いトーンでおっしゃいまして、党内が大混乱した経過がございます。

今川正美

1999-06-02 第145回国会 衆議院 農林水産委員会 第18号

当時、村山委員長が、米の市場開放には反対だが、部分自由化はやむを得ないものとして苦渋の選択をすると声明したわけですが、そのときの怒りと悔しさというものは今もまざまざと覚えております。そのときに非常に感じたのは、国論が二分しておったということでありまして、こういう問題に取り組むときにはやはり国論一つになっていくことが非常に大事だということを痛感しました。

辻一彦

1998-08-12 第143回国会 参議院 本会議 第4号

我が党の村山委員長が、自民党の皆様の支持を受けて首相に指名されました。当時、私は社民党執行部の一人として、解散し民意を問うべきではないかと思った。しかしながら、当時の熱病的とも言える政治改革、実は今日の小選挙区制が残っただけでありますけれども、その政治改革法をつぶすのかという声の中で、意見を述べることがかなわず、少数党出身総理大臣民意を問うことなく国政を担うことになりました。  

山本正和

1996-12-12 第139回国会 衆議院 税制問題等に関する特別委員会 第2号

このときには、当時連立政権の中にいました社会党が、村山委員長以下、政権の離脱も辞さないということで大反対をいたしたために、たった一日でこの案は撤回されたのであります。厳密に言うと、三十四時間後には細川総理がこの案を撤回をしたわけであります。  その後、私ども、村山政権のもとでいろいろとこの税制問題を議論いたしましたときに、自民党社会党、そしてさきがけの連立三党は、ぎりぎりの調整をいたしました。

尾身幸次

1996-06-11 第136回国会 参議院 金融問題等に関する特別委員会 第3号

ところが、どういうわけか、今までこんなことに、国民の声に一番反応なすって国民の声を代弁なさる、名前は変えた社民党さんも、一言一句変えないという村山委員長の指令が出ているという、これもわからない非常識でございます。  そして常識的には、日本経済の再構築のために今大蔵大臣がおっしゃったのであれば情報開示をすべきです。まだまだわからないことがいっぱいある。

林寛子

1995-11-10 第134回国会 衆議院 宗教法人に関する特別委員会 第8号

村山委員長はせせら笑っておみえになりますが、かつての社会党は、事憲法を守るということは殊のほか熱心だった。人権を守るということについても、我々が指摘をする以上にあなたたちは神経を使っていたのです。  しかし、あなたたちはいわゆる権力を取ったら態度がすっかり変わっておるじゃないですか。今度のこの宗教法人法の運営についても強引過ぎるほどの強引なやり方をやっておるじゃないですか。

草川昭三

1995-02-23 第132回国会 衆議院 予算委員会 第17号

そして今日本政治を考えてみると、社会党委員長村山委員長が総理になっている世の中ですよ。そして日本政治のあり方もいろいろ言われている。そして日本外交について見ても、今申し上げたように、私は余りコンセンサスなき密室外交というのは言いたくはないけれども、そういう印象を抱くことは紛れもない事実ですよね。  

伊藤英成

1995-02-01 第132回国会 衆議院 予算委員会 第6号

去年の五月の話、十二日の本会議で、まだ野党時代村山委員長が羽田総理に質問された一節、御記憶だと思いますけれども、こう言っておられます。「有事立法は、現在の国際関係からは到底考えられない我が国に対する急迫不正の侵略があった場合を無理に想定して、自衛隊出動などのために国民の権利を大幅に制限することが必要であると主張し、そのための法制をあらかじめ準備しようとするものと思われます。」

宮本一三

1994-11-29 第131回国会 衆議院 世界貿易機関設立協定等に関する特別委員会 第8号

河野国務大臣 私は、この夏に、当時の、かつての、あるいは旧と言った方がいいかもわかりませんが、旧連立政権政権を投げ出された、そういう政局が混乱した状況の中で、社会党村山委員長と十分なお話し合いを申し上げ、政局混乱のこうした状況を何としても直さなければいかぬ、そのためにはそれぞれの党がそれぞれの主張をかたくなにぶつけ合うだけではなくて、政局を安定させるために、時に話し合って合意点を見つけ政局を収拾

河野洋平

1994-11-24 第131回国会 参議院 大蔵委員会 第5号

書いてもないことまで言って公約違反でないということを一生懸命におっしゃるということになると、日本社会党という党、村山委員長が本当に政治家として国民にどれだけ責任を負っておられるかということに疑問が出てきます。  社会党本部にあったあの消費税反対闘争本部看板は、あれは看板に偽りあったんだということですか。

吉岡吉典

1994-10-20 第131回国会 衆議院 安全保障委員会 第1号

ただ、今河野総理は非常に紳士的な丁寧な社会党をおもんぱかっての言い方をされましたけれども、私ここで一つ指摘しておきたいのは、当の相手の村山委員長は必ずしもそのような、河野総理のように紳士的なことをおっしゃっていないということを一つ例を挙げたいと思います。  九月三日ですから、政権ができてからもう随分たっております。

赤松正雄

1994-10-17 第131回国会 参議院 予算委員会 第2号

しかも、これは最終的には当時の村山委員長、羽田総理大臣、その他の十派の各党首の皆さんの中ではおおむね合意になろうとしておった。ところが、幹事長書記長会談の場で突然その合意が破棄された。しかも、政策が一致している部分を認めるんじゃなしに、不一致の部分を拡大してぶつけてきた。まさに当時の野党であった自民党に対して、内部を攪乱し、一人一人引き抜こうとするような企てが行われた。

山本正和

1994-10-11 第131回国会 衆議院 予算委員会 第1号

例えば、ことし一月十一日の社会党大会村山委員長は、減税財源消費税率アップに結びっけることについては断じて認めることはできません。減税財源は徹底した不公平税制の是正、世界の軍縮の波に沿って防衛費見直し不要不急の歳出を削り、足りない分は短期の特別国債で賄うべきだというのが社会党主張でございますというふうに申しておられるわけであります。当時も与党であります。社会党与党であります。  

中野寛成